ぶっちー、

こんにちは。
毎日のコロナ感染者数発表が何だか株価や為替の変動速報みたいになりつつある気がしなくもない今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。
俺は東京(神奈川)を脱出し、長崎なう(アゲイン)です。

長崎と言っても俺が今いるのは、中華街や出島、平和記念公園などで有名な長崎市ではなく、あるいはハウステンボスや米軍基地、B級グルメ(ハンバーガー)で有名な佐世保市でもなく、海と山に囲まれた大村市という人口約10万人の小さな街です。

長崎空港があるのがこの大村市なのですが、1975年に開港したこの空港、実は「世界初の海上空港」だそうです。
グーグルマップで見ればわかるんだけど、海(大村湾)の上に空港が浮かんでいて(箕島という島が丸ごと空港になっている)、本土(九州大陸)とは橋で繋がれているのね。
空港を出てすぐ、この橋を車で渡るのが何とも気持ちいい(義理のお父さんに車を借りています)。
俺が知る限りではソウルの仁川国際空港が同じように、海上の橋を渡って街へ出る形になっています(前回から韓国の話題が多いですね)。

この「世界初の海上空港」に象徴されるように、長崎県は「海」がすごく身近にある(と感じられる)土地です。

海上保安庁によると、島国・日本には「海岸線の長さが100m以上の島」が計6852島あるそうですが、そのうち971島が何と、長崎県にあります。
第2位の鹿児島県(605島)、第3位の北海道(508島)を引き離して、「島の数」ダントツの日本一です(ちなみに東京都は330島で第6位)。
「県内にある海岸線の総距離」というややマニアックなランキングでも、長崎県は北海道に次いで第2位(面積は北海道の20分の1以下なのに)。
これもグーグルマップを見ればわかるんだけど、長崎県の海岸線は大部分が複雑に入り組んだリアス式海岸で(真っ直ぐな線がない)、それ故に総距離が伸びているものと思われます。

「たくさんの水を日常的に目にするのは、人間にとって大事な意味を持つ行為なのかもしれない」
「しばらくのあいだ水を見ないでいると、自分が何かを少しずつ失い続けているような気持ちになる。それは音楽の大好きな人が、何かの事情で長期間音楽から遠ざけられているときに感じる気持ちと、多少似ているかもしれない」

瀬戸内海に面した芦屋育ちの村上春樹は「走ることについて語るときに僕の語ること」というエッセイ集にこんなことを書いていましたが、確かに「たくさんの水」に囲まれて生活するのは、気分がいいものです。
横浜育ちのぶっちーにも、こういう感覚はありますか?

もっとも、俺が今いるのはシーサイドではなく、その逆、つまり山です。
島の数が多いということは、大地のデコボコ(アップダウン)が激しくて、平地ではなく斜面が多いということですね。
その結果、大村市は海を少し離れたらもう山で、俺が今いるのも山道を車でグイグイ上った先にある、伊豆高原の別荘地みたいなところです。
歩いて5分くらいのところに大きな湖のある公園があって(前回から湖もよく出てきますね)、その公園から海と市街地を一望できます。
この神ロケーションに義理の両親が建てたログハウス風の家で(実際に建てたのは大工さんですが、流石に)、普段は彼らの家(シーサイド)にいるワンコとなぜか二人(二匹?)暮らしをしています。
朝はワンコと湖の周りを散歩して、昼は車で下界に降りて(下山して)スーパーで買い物とかして、午後は家でコーヒーを淹れて、ジャズやクラシックや70年代ポップスのレコードを素晴らしい音響で聴いたり(やはり義理のお父さんのものです)、本を読んだりスライムダンクを一気読みしたりして(そういえば去年の今頃はドラゴンボールを一気読みしたな)、夕方またワンコと散歩をして、夜は料理をしたりクジラの刺身を甘口の九州醤油で食したりしています。
なかなか優雅な半隠居生活でしょ?
あ、仕事もしてます、一応ね。

海と山の間には、海岸線に沿うような形で国道が走っていて、そのロードサイドにイオンやらマクドナルドやらドンキやらauショップやら市役所やらスタバやらリンガーハット(本店は長崎にある)やらが並んでいるという、まあ何の変哲もない典型的な地方都市です。

しかしこの大村市、長崎県で唯一、近年人口が増えている自治体だそうです(限りなく微増だけど)。
恵まれた自然環境とコンパクトシティ感に惹かれて、移住してくる人が多いらしい。
役所やレストランに行くと、福岡辺りの小さな出版社や広告代理店なんかが作った「大村絶景ガイド」みたいな雑誌がよく置いてあって、その誌面では絶景スポットに加えて「移住者の声」みたいのが紹介されています。
多くは東京や大阪から移住してきて、カフェやベーカリーを開いたり、農業を始めたりした人たち(大村市は明らかに農業より漁業向きの街なのだけれど)。
まあ、よくある「田舎に移住して悠々自適なスローライフしてます」物語が、適度にレトロ加工された写真とフワッとしたコピーライティングで紹介されてるわけです(ええ、型にハマった雑誌作りをディスってます)。

確かにこの街の自然環境は素晴らしいし、移住者の話を読んで「いいなあ」と思う気持ちもあるんだけど、一方で「なんか違うんだよな」という感覚もありまして。

ひとつは「都会vs田舎」という安易な二項対立の構図を(暗に)前提とした、ステレオタイプな発想ですね。
「A(都会)かB(田舎)、どっちが良いですか?二択です。他の選択肢はありません」と言われているような感じ。
でも俺は、個人的にはA(都会)でもB(田舎)でもなくC(都会と田舎の二拠点生活)がいいなと最近思ってるわけですよ。
田舎の自然環境やスローな雰囲気は魅力的だけど、一方で都会のスピード感やエネルギーみたいなものも俺は好きなわけで(まあ、東京はかなりエネルギー低下してる感は否めませんが)。
成田から長崎まで今、PeachやJetstarなら1万円以下で行けます(新幹線で京都に行くより安い)。
これだけ移動コストが下がって、かつリモートワークができる世の中になってきた今、複数の拠点を持ちながら生活するのはそんなに難しくないし、天災等のリスクヘッジにもなるし、気分的にも楽しいと思うんだよね。
できれば海外拠点もあると、なお良し。
「都会」「田舎」「海外」の三拠点生活。
四拠点でも五拠点でもいいんだけど、あまり増えすぎるともはや無拠点(ただの根無し草)になりそうなので、とりあえず三拠点。

たとえば俺の場合、東京(都会)と長崎(田舎)とマレーシア(海外)を行き来しながら生活する、というのはある程度、具体的にイメージできます。

家族との生活拠点は子育てもしやすそうな長崎に置いて、仕事の拠点は東京(基本リモートワークで、たまに上京して打ち合わせとかする)。
さらに海外拠点としてクアラルンプールに自宅兼オフィスを構え(なくてもいいけど)、日本国外での新たな仕事の機会を模索しつつ、たまに周辺のリゾート地でバカンスもしたり(こっちがメインか)。
1年間の8割くらいはいずれかの「拠点」にいて、残り2割くらいはまた別の場所にいる(沖縄でも北海道でも京都でもアフリカでもヨーロッパでも)。
「拠点」はその時々で、状況に応じて変わっていく(たとえば「東京」が「京都」になったり、「クアラルンプール」が「アムステルダム」になったりする)。
ともかく常に複数の拠点を持ちながら、しかし拠点にあまり縛られずに生きていたい。
そういう生活ができる社会的、経済的基盤を少しずつ作っていけたらいいな、とか思うわけです。

このブログを始めた頃、「ぶっちーに合うスピード感の街はどこか?」という議論(というか雑談)をしましたが、スローな街(例:長崎)とファストな街(例:東京)とその中間くらいの街(例:クアラルンプール)を行き来することで日々「ギアチェンジ」しながら暮らす、そんな生活も悪くないんじゃなかろうか。

なんてことを山奥(と言うほど山奥でもないけど)で考えたり考えなかったりしている、33歳の夏です(ローギア)。
最後に、ここ数日ヘビロテ中のクインシー・ジョーンズ「愛のコリーダ」(1981年)をお届けします。



2020.07.28
ハル