ぶっちー、

1年近くぶりのお返事、どうもありがとう。
たたみかけるように即レスします。
(1年近く更新されないと思ったら1〜2時間後に返事が来たり、まるで時空を超えた精神と時の部屋にいるみたいですね)

>大変な時だけど、安全に暮らしていますか?

俺もフルリモートで引きこもってます。
無駄な通勤時間や出社がなくなってすごくいい。
1日3食作ってるし(奥さんと俺が半々くらい分担、本当だよ)、本もたくさん読めるし書けるし。
仕事してるフリして新作を書いたり今このブログ書いたりしてることはここだけの秘密な、絶対に誰にも言うなよ、絶対だぞ。
もう無駄な通勤電車には乗れないと思う(だって会社行かなくても大体の仕事はできることが皆わかっちゃったし、もう元には戻れないんじゃないかと思うんだけど、どうだろう、何事もなかったかのように元通りになるのかな、日本だし)。

不思議体験についてだったね。

そうだったね。

最近「もしかして自分は物理的にも精神的にも割と過敏なのではないか」ということを考えていて。

うん、まあ、そうかもね。笑
でも、人それぞれ過敏ポイントと鈍感ポイントをそれぞれ持ち併せてるんじゃないかな?ってそれらしい(つまらない)こと言うけど。
たとえば敏感肌だけど胃腸が強い人もいるし、対人関係には過敏だけど社会生活には鈍感な人、って今書いてみたけどそんな人いるか?
まあともかく、昔しょーちゃんに借りた、じゃなくて借りパクした(多分実家の本棚にある、多分)「マイケル・ジャクソンの教科書」っていう本に、マイケルは「誰よりも繊細で、かつ誰よりも大胆だった」みたいなことが書いてあったのをよく覚えていて。
そうか、繊細さと大胆さ、敏感さと鈍感さ、みたいな一見すると相反する要素は一人の人間の中に両立可能、共存可能なんだ、って思った。
ダルビッシュのピッチングにしてもそうだし、ぶっちーという人間にしてもそうなんじゃないかな。
人は多面的な存在であり、だからこそ愛おしい、とか何かの本に書いてありそうなフレーズだけど、まあいいや。

で、精神的なほうなんだけど、わたしはバイブスの合う人が好き。

バイブス、大事だね。

俺がここ最近出会ったバイブスの合う人間、は間違いなく、ここ最近というかここ数年レベルだけどマレーシア人の友人アルシャッドで、ただ今よく考えたらバイブス云々というより単にダメ男同士というだけかもしれない。笑
ダメ男は国境を超える、国境なきダメンズ。
奥さんともバイブスはまあまあ合う気はするけど、もともと合ってたのか、あるいは一緒に住んでたら自然と波長が重なるようになってきたのか、今となってはよくわからない。
まあどっちでもいいんだけど、ぶっちーの言う通り「何回も起きる相手と、一回も起きない相手に二分される」のだとしたら、一応、前者なんじゃないかな。
まあ、2年後くらいに「アイツとはマジでバイブスが合わん、離婚する」とか言い出す(もしくは言い出される、方が可能性濃厚か)かもしれないけどさ。笑
あと、それなりに訓練すればバイブスは調整可能というか、バリエーションは増やせるんじゃないかな。
曲のBPMを120〜130の間くらいなら自由にアレンジできるみたいに。
Aマイナーの曲とCメジャーセブンスの曲をミックスしろと言われたら難しいけど、不協和音も含めてそこそこ面白いものにはなるのかな、でもこれはバイブスというよりコードの話だからまた別の話か。
あれ、それを言ったらBPMの話もまた別の話で、俺は一体何を偉そうに喋ってた(書いてた)んだろう。
バイブスってもっと、BPM120とかAマイナーみたいに数値や記号では表せない、言語化もできないサムシングのことだよね、きっと。

何の話か忘れるゲームだったよね?

そうそう、そうだった。

オンラインお茶会でもしましょうよ。

今やってるこれが、オンラインお茶会だよね?

最近思うんだけど、今みたいにパンデミックとかがあって社会のオンライン化が進むと、同じ会社にいるというだけで先輩が後輩に気安く話しかけたり(何を話すかも特に考えず)、場に依存した馴れ合いの人間関係が崩壊したり、何となくの「雰囲気」や「声の大きさ」で話を進めることができなくなって、代わりに「ちゃんと文字を書いてコミュニケーションできる人間」の価値が相対的に高まるんじゃないかな(まあ、これは俺の希望的観測でもあるんだけど)。
ZOOMやSkypeで会議するのも別にいいんだけど、実際のところ「テレビ会議した」っていう事実だけで満足しちゃってるおじさんとか多いと思うし、つまりZOOMやSkypeは「やってる感」を得るためのツールに成り下がってしまっているのではないかと感じていて、まあもちろん使う人次第ではあるんだけど、ビジネスコミュニケーションの基本はあくまでも「文字を書く」ことだと思うんだよね。
日本だとなぜかこの能力が軽視されて(多分、学校で学ばないから)、オーラルコミュニケーション偏重、それも「もっともらしく喋る」という変な能力が「コミュニケーション能力」だと勘違いされているように俺は思うんだけど、そう思いませんか?
「もっともらしく喋る」ために必要な「無駄に見栄えの良いパワポ資料」を作ることに一生懸命になっているくらいなら、もっと「文章を書いて伝える」能力の開発に時間を割いても良いと思いませんか?

たとえば俺たちがこうして、(1年近くブランクがあろうとも)文章を書き続けているように。

少なくともビジネスにおけるコミュニケーション能力とは、ほぼイコール文章力(プラス、人の話を聞く能力、俺は持ってないけど笑)だと俺は思いますね。
まあ、今仕事をサボって一生懸命この文章を書いてる俺が偉そうに言えることじゃないんだけどさ。笑

最近は時間がたっぷりあって執筆も捗ってるからだと思うんだけど、とても穏やかで充実した気分。
悪いことばかりじゃないと思うね、パンデミックも。

2020.04.15
ハル