ぶっちー、

ハッピーバースデー!
33歳、ゾロ目ですね。

先日の横浜では、どうもありがとう。
「裏設定」の話、なるほど、と腑に落ちました。笑
そして今、ふと「このブログの裏設定は何だろう?」と思いました。

俺はなぜ、このブログをやりたいと思ったのだろう?
このブログによっては俺は、何を成し遂げたかったのだろう?

始めるときは、特に何も考えず「やりたい!」と急に思いついて、それだけだったんだよね。
たぶん、ぶっちーも「いいじゃん!面白そう」くらいのノリだったと思うんだけど。
で、今も特に何も考えず、この文章を書き始めた。

いや、実際には、ぶっちーが俺のお誕生日にブログを書いてくれたから、俺もお返事をブログでしようかな、と思ったんだけど、ふと、なぜブログなのか?とも思った。

メールやラインや電話ではなく、あるいは会うのでもなく(この前会ったけど)、なぜブログなのか?と。
プライベートで勝手に伝えれば良いことをなぜ、インターネットに書こうとしているのだろうか?と。
俺は本当に、ぶっちーに「お誕生日おめでとう」を心から伝えたい、と思っているのだろうか?と。

たとえば、フェイスブックには誕生日の人に公開メッセージを送る文化があったと思うけど、それと同じなのかもしれない。
個別にプライベートメッセージを送れば良いものを敢えて、第三者も見れる形で投稿する。
それは一体、なぜなのだろうか?

敢えて第三者も見れる形でメッセージを送るからには、心のどこかに「第三者にも見て欲しい」という気持ちが多少なりともあるはずで、だとしたらそれはなぜだろうか?
「私はこの人と誕生日メッセージを送るほど仲良しですよ」と伝えたいのか、あるいは「私は友人の誕生日を忘れない律儀な人ですよ」と伝えたいのか、あるいは。
まあ、フェイスブックとかだと「今日は何々さんの誕生日です」とか出てくるから、律儀な人アピールにはならないかもしれないけど。

俺は今、この文章を書きながら「これ、ブログじゃなくてぶっちーにメールで送ればいいんじゃね?」とも思ったんだけど、一方でやっぱり「ブログに載せたいな」という気持ちもあるんだよね。
それはたぶん、今こうしてゴニャゴニャ書き連ねていることを、ぶっちーだけでなく他の誰かにも読んでもらって、あわよくば共感してもらったり、あるいは何かを考えるキッカケにしてもらったら嬉しい、と思うからなんだと思う。

そして今、ちょっと一服してたら、このブログの「裏設定」に俺、気付いた気がする。

語弊を恐れずに言うと、俺はたぶん、俺が考える「センスが良い人」に向けて文章を書きたい、と思ったんだよね。
で、俺の身近にいる「センスが良い人」の筆頭が、ぶっちーだった。笑
そういうことなのではないか、と。

たぶん、職業ライターとして不特定多数の人々に向けて文章を書いていた反動だと思うんだけど。
顔の見える野菜、じゃないけど、顔の見える読者に向けて、文章を書きたいと思った。
その方法として「ぶっちーと交換ブログ」というアイデアが、ビビッと来たんだと思う。
めっちゃ顔の見える、それもセンスの良い読者が身近にいるじゃないか、と。笑

ぶっちーはぶっちーで、きっと俺とは違う「裏設定」が何かしら、あったんじゃないかと思う。
そして「裏設定」は往々にして、実際に何か行動を起こした後に気付くものなのではないだろうか?
まあ、これは俺が行動を起こしてはすぐにやめて、また別の行動を起こす、その言い訳かもしれないけど。笑

少し話は変わるけど、ぶっちーが3年前にこのブログで「プレゼントは、外す(相手が気に入らないものを選んでしまう)リスクを取ってまでして選ぶもの、それがプレゼントの醍醐味」というようなことを書いていて、俺はその考え方すごく良いな、と思って、今も覚えているんだよね。

この文章を「プレゼント」などと言うのはとても気が引けるのですが、俺が今ぶっちーに伝えたいと思ったこと、さらには他の誰かにも伝わればいいな、と思ったことを、書いてみました。
30人メッセージほど素敵なプレゼント(自分で言うな)じゃないけど、ラインで「たんおめ」よりは良いかな、と思って、書いてみました。
ちなみに、先日ハヤトからはラインで「たんおめ」と来ました。笑

ところで、、、

33歳は果たして「アラサー」なのだろうか?

2018.10.12
ハル