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ぶっちー、

アニョハセヨー。
サランヘヨ。

あっという間にTommy、もといFebruaryやな。

最近は人生どう? 順調?
俺? 俺はまあ、ぼちぼちかな。
新しいプロジェクトの準備したり、月9見たりしながら平凡な毎日過ごしている。
いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう、っていうルミネの広告みたいなタイトルのやつ。
まあアラサーにもなればさ、思い出してきっと泣いてしまう恋のひとつやふたつくらいあるよな。
May the God bless your sweet memories.



自分の人生さえどこか他人事なのに、 
弊社メディアにそんなスタンスでコミットしなきゃいけないなんて、 
全くもって想像してなかった。 


ぶっちーが「弊社」って言うと他人事感が凄すぎて、何というか全く「弊社」感がないな。
こんなに「弊社」感のない「弊社」に俺は、未だかつて出会ったことがないよ。
まあ、そんなことはどうでもいいんだけどさ。

「自分の人生さえどこか他人事」とな。

確かにぶっちーはさ、自分の人生をどこか他人事だと思ってる感があるよね。
将来のビジョンとか特になさげだし、むしろ「誰か決めて」とか思ってる節あるし。
ベトナムの街中で知らないおじさんにホイホイついてくし、いつもママの洋服着てるし。
俺が「世界一の交換ブロガー目指そうぜ!」とか言っても「へー、頑張って」とか言うし。
You seem like you are not responsible for your life at all.
もっと自分の人生に責任持って下さいお願いします。

とはいえ、ぶっちーが自分の人生をどこか他人事のように感じてしまうのも、
まあ半ば仕方のないことなのかもしれないと思ってさ。

ぶっちーは一見、すごく「自分を持ってる」風なんだけど、その一方でどこか「心ここにあらず」な感じもあるというかさ。
それは多分、ぶっちーが周りから期待される「ぶっちー」像を瞬時に理解して、それを鮮やかに演じ切ってしまうというか、
アメーバのように変幻自在に、その瞬間瞬間の環境に合わせて自分をアレンジできてしまうからであって、
そんなわけで毎日「ハイハイ、こういう私が見たいんでしょ?どうぞ」っていうパフォーマンスを反射的に繰り返しているうちにぶっちーはさ、
きっと自分の原型、すなわち「本当の自分」が一体全体何なのかよくわからなくなっていったんじゃないかという気もするし、
そもそも「本当の自分」なんてものはこの世に存在するのか問題に発展したりしなかったりする気もするし、
まあそんなモヤモヤを心の片隅に抱えつつぶっちーは、きっと来る日も来る日もこの情なき世界が求める「ぶっちー」を演じ続けているのであって、
そんな風にして今日も満身創痍の舞台を終えたぶっちーは楽屋に戻り、深くため息をついてからポケットから取り出した煙草に火をつけて、
長年の付き合いで気心知れたマネージャーに「ねえ、今日のステージなんなの? スタッフの段取り悪いし客のマナー悪いし、もっとマシな仕事取ってきてよ」ってとくと説教するんだけど、
そうやっていつも理不尽に怒られる可哀想なマネージャーくんが他でもない、この俺ね。
いつもいつも段取りが悪くて本当にごめんな。

とまあそんなわけで、ぶっちーが自分の人生をどこか他人事のように感じてしまうのもさ、
それはもう半ばハリウッド女優の宿命のようなものなんだろうと俺は思っているんだけど、
それでも敢えて、長年のマネージャーとしてここはひとつ、言わせて欲しい。

俺はぶっちーにさ、もっと自分の人生を生きて欲しいんだ。 

だって、Who owns your life?
Of course, you do.

いや、ぶっちーは素晴らしい女優としていつもたくさんの人たちを楽しませていて、
それはもう間違いなく、ぶっちーの素晴らしい才能なんだと思うけど、
でも俺はもっとぶっちーに、ぶっちー自身を楽しませてあげて欲しいというかさ。
他の誰かが見たがってる、他の誰かが期待するぶっちーではなく、
ぶっちー自身が見たいと思う、ぶっちー自身がなりたいと思うぶっちーになって欲しいというかさ。
いや、もし他の誰かが見たいぶっちーこそ、ぶっちー自身がなりたいぶっちーであるというのならそれでも構わない。
でも、きっとそうではないだろうと、俺はぶっちーを見ていて思うのよ。
ぶっちーは自分の人生を他人事として生きるなんて、本当は望んでなんかいないと思うのよ。
この世で最大の悲劇はさ、オペラを歌うのが最高の喜びである人が世間体のために銀行員になったり、
本当は華やかな帽子をデザインするのが三度の飯より好きな人が安定を求めて医師になったりすることじゃん?
自分ではない誰かになんて、なろうとしなくていいんだよ。
私以外私じゃないのだからさ。
まあとにかく、余計なお世話かもしれないけどさ。
ぶっちーにはもっとありのままで、レリゴーなぶっちーとして生きて欲しいのよ。

そして何より、いつかぶっちーがぶっちー自身を最高に楽しませてあげられるようになったとき、
俺を含む周りの人たちはきっと、今以上にぶっちーのファンになると思うんだ。

何かに心から夢中になって楽しんでいる人ってさ、それだけで人を惹きつける魅力があるじゃん?
ぶっちーはその資質を十二分に持っていながら、まだまだ持て余してると思うんだ。
ぶっちーにはもっともっと、燃えるような情熱を大切にして欲しいというかさ。
世の中への義憤でも、特定の物やアートに対する激しい思い入れでも、
あるいは心臓が燃え尽きてしまうような恋でも何でもいいのよ。
魂が煮えたぎるような情熱こそ生命であり、天からのギフトなんだからさ。

まあ、そんなわけでさ。
たとえこの全世界がぶっちーに、自分の人生を他人事として生きることを強いたとしても、
俺はぶっちーに、他の誰でもない自分の人生を生きて欲しいのよ。 

もしかしたら世の中には、ありのままレリゴーに生きるぶっちーを見て、
「イメージと違う」とか「真面目に生きろ」とか勝手なことを言ってくる人もいるかもしれない。 
でも、そんなときはただ一言、持ち前の演技力を発揮してさ、
ちょっとスカした含み笑いと共に、言い返してやればいいのよ。

It's my life、ってね。





人生は、It's now or neverだからな。

2015.02.05
ハル