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ぶっちー、

ヴォンジョールノォォォ!!!

新年あけおめーしょん。
今年もよろしっくす。

お正月、どんな感じで過ごしてた?
俺? 俺は京都でまったりしてたよ。
親戚ミートアップの合い間に初詣行こうと思ってさ、
千本鳥居で有名な伏見稲荷大社に行ってみたんだけど、
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てな感じでさ、新年早々返り討ちに遭ったわ。
May the God bless me.


パブリックとプライベートが都合良く利用できる世界に期待してる。
交換ブログもできるし、昼下がりにアフタヌーンティもしちゃう、みたいなさ。

いつも両方のいいところを、気分次第で横断できる 隙間 みたいなところをチョロチョロしたいな、
っていう結論。いまのとこ。

君が期待してる「パブリックとプライベートが都合良く利用できる世界」をね、
俺はこの手で作ろうと日々、試行錯誤しているよ。
もうしばらく体育座りしながら、アフタヌーンティーでもして待っててな。

ところで、ここ最近ちょっと考えてたんだけどさ、
パブリックとかプライベートとかって一体、何だろうね。

いや、俺たちがこの交換ブログでやってることってさ、
言うなれば「プライベートの一部をパブリッシュする」ってことだと思うんだけど、
一方で「ブログを書く」という行為そのものが、俺たちにとってもはやプライベートの一部でもあるわけじゃん?
パブリッシュすること自体がプライベートな行為であり、パブリッシュすることによってプライベートも変わるというか。

このブログは基本、俺たちが普段している会話の一部をそのまま公開してるような感覚なんだけど、
とはいえ交換ブログだからこそ生まれる会話とかもたくさんあるわけだし、
交換ブログというパブリックな場があることによってプライベートでの行動が変わることもあるわけだよね。
たとえば俺、交換ブログやってなかったら銀座にちゃぶ台とか運んでないと思うし。
このブログでぶっちーの誕生日をお祝いしたいと思ったからこそ「そうだ、銀座いこう(with ちゃぶ台)」となったわけで。
でも、このブログより銀座の歩行者天国の方が、いわゆる「パブリックスペース」なわけじゃん?
どっちの方がより公共性の高い場所かって言ったら、絶対銀座じゃん?
このブログは「誰でも見れる」という点ではパブリックな場所ではあると思うけど、
俺たちが全てをコントロールできる超プライベート空間とも言えるしね。

まあ、そんなことをグダグダ考えてるとさ、
もはや何がパブリックで何がプライベートなのかよくわかんなくなってくるし、
俺はそれぞれを「都合よく使いわける」というよりもむしろ、
クロスオーバーさせて遊びたい、って感じなのかもな。

一方で、自分が中目黒の川沿いでモデルのお兄さんに見とれててデニム破けるほど大転倒したこととか、
いじめられて登校拒否だった過去とか、ログに残されたくないし、
両親に交換ブログしてること知られたら、軽くこの世終わると思ってる。
アンチデジタルのわたしも確かに居るの。

両親に交換ブログ知られたら軽くこの世終わるって、どんだけドラゲナイやねん。
この世終わるリスクを冒してまで交換ブログやってくれてありがとうな。

確かにさ、ぶっちーに限らず真面目に生きてきた人なら誰しも、
ログに残されたくない黒歴史のひとつやふたつあると思うんだけど、
そういうのって実は、ネット上にデータとしてログを残されても大してダメージはなくて、
むしろ誰かの脳内に記憶として、形のないログが残ることの方が怖いことなんじゃないかと思うんだよね。

たとえば、ぶっちーは中目黒でモデルのお兄さんに見とれてコケたというイベントについてさ、
「ログ残されたくない」と言いつつ、自ら率先してこのブログにログを残したわけじゃん。
ということは、ぶっちーは「モデルのお兄さんに見とれてコケた」という事実そのものについては、
別に大して恥ずかしいことだと思ってないわけだよ、きっと。
でも、もしぶっちーがコケたときに実はすぐ近くに知り合いがいたとしてさ、
ズッコケ現場をリアルタイムで目撃されてたら超恥ずかしくない?
その人の脳内ハードディスクにはさ、モデルのお兄さんに見とれるぶっちーのアホ面と、
ぶっちーが鮮やかにズッコケる映像が鮮明に保存されるわけ。
脳内ハードディスクのコンテンツはネットでシェアとかできないし、
ログを残されたりツイッターで拡散されたりするリスクとかはないんだけど、
それよりも「あのとき見てたよ」って言われることの方が100倍恥ずかしくない?
まあ、脳内映像がクラウドでシェアされる時代もそう遠くないのかもしれないけどな。

ぶっちーはさ、自分で「ログを残されたくない」アンチデジタルな一面もあると言うけれど、
たぶんデジタルそのものに対してアンチというわけではなくて、
きっとログの元ネタとなるアナログ世界を警戒してるんだと思うんだよね。
何でもかんでもシェアする人の浅はかさとか、デリカシーのなさとか。
両親にブログ知られたらこの世終わるとかも、デジタル云々の話というより、
「両親との関係」という超アナログなイシューなんだと思うしな。

まあ、この話の続きは今度、アフタヌーンティーでもしながらゆっくり話そうか。
ミルクたっぷりのミルクティーでも飲みながら、さ。 





てな感じで、今年もよろしくな。

2016. 1. 5
ハル